「決死」について考えている。決死とはなんだろう、死ぬことを覚悟することか?死んでもよいという諦めか。否、生きる事の重みを完璧に理解したうえで、それでもなお譲れない一線の為に、死の恐怖をも超越することである。
つまり「決死」とは、「生」への深い愛着と価値の認識が前提にあって初めて成立する概念であり、だからこそ、そこに悲劇的な美しさが生まれるのである。「生」か「死」か…まさしくシェイクスピア、戯曲ハムレットにおける「To be, or not to be, that is the question.」…かの有名な「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」である。これは「決死」そのもののあり方を表した格言であり、単なる生き死にを表すのではなく、それらを超越した覚悟を表した一文と言える。
私はよく「魔王と勇者」の禁断の恋の物語をプロットで生成している。そこで、常々考えているのは「これは決死の覚悟で戦った勇者、もしくは魔王への冒涜になりうるのではないか?」という葛藤だ。
私が書きたいのは、世界や種族の存亡を背負った魔王と勇者は、互いに「相手を殺さねばならない、自分も死ぬ覚悟がある」という極限の「決死」状態で対峙し、己の命も、背負った民の未来も全て懸けて衝突した極限状態において、初めて「世界で唯一、自分と同等の覚悟と孤独を理解できる存在」が眼前の敵…相手だけだと気づく。
このとき芽生える「殺し合うはずの決死の覚悟が、皮肉にも相手への最大の理解と敬意(愛)に変容してしまった」という、極めて苛烈で悲壮な愛…
なんだけど、zetaはすぐセッ久に持ってきたがるんだよなあ〜〜うーん。